書けない私が書こうとする理由

ずいぶん長いこと、自分の言葉を紡ぐことがなかったので、いざ何かを書こうとしても言葉が出てこなくなってしまった。

仕事をしていれば、文章を書くことは度々ある。

だけれど、大概は定型文で、決められたことを只々繰り返しタイプするだけの「作業」だ。

読み手に合わせて必要な情報を詰め込み、時には詫びやオベンチャラを混ぜ込んで提出する。

そんなことをやってたら、本当に文章が書けなくなった。

血の通った文章なんぞ、今の私には到底書けやしない。

 

「書けない」「うまく言葉が出てこない」と悩むのは私だけではないようで、本屋に行けば「語彙力」「文章力」とタイトルに入った書籍がずらっと並んでいる。

そもそも、自分の気持ちや、内面で創造したものを文章にする事を学校でやらせてないのだから、躓くのは当然ではないか。

感想文だって自分の好き勝手に書くわけじゃなくて、大人ウケ狙って書いてるんだもの。

自分の中からひねり出す、を日常的にやっていかないと、インプットもしないし、アウトプットのスキルも伸びてはいくまい。

しかし、慣れないうちは自分の中からひねり出すのは一苦労である。時間もかかる。

仕事では速さが重要視されがちなので、この手間をかけている余裕がない。

そしてまた、定型文に逆戻り。

うーん、なかなか相容れませんな。

 

今の会社に入ってから思ったが、会社ってのは勝手なもんである。

スーパーマンになれと言ったと思ったら、物言わぬ奴隷になれと暗に言ったり。

特に幹部を見ていると、能力の高いゾンビが欲しいのが透けて見える。

勤務時間が長く、殆どの時間を仕事で潰されてくると、段々思考することが少なくなってくる。

ただ目の前に積まれたタスクをこなしていくだけの、味も色も香りもない日常に、どんどん心を蝕まれていく。

ここ数年の私は空っぽだった。

静かに荒れて、消耗しきっていた。

このままでは、ゾンビまっしぐらだ。

私はそうはなりたくなかったので、またこうして何かを作ることを始めた。

やりたいと思ったことをやって、自分の言葉を取り戻せたら、きっと見える景色も違ってくるだろう。

明日が瑞々しい一日でありますように。