【私のTL】本屋の閉店から思うこと

都心の大型書店閉店の様子が流れてきた。

愛された店舗なのだろう、たくさんのいいね・RTがついている。

元書店員としては、こういったニュースはとても寂しい。

 

私が昔勤務していた書店は、郊外の大型店で、地域の中では最大の蔵書を誇っていた。

先日、当時別部署で働いていた友人から、大規模な改装をしたとの知らせがあった。

なんでも、カフェを併設しメディア系は縮小、蔵書も減らしたようだ。

「ううむ、カフェか。時代の流れなのだなぁ」と変わってしまった元職場にちょっぴり寂しくなった。

ネット化、電子化が進んで、本もメディアも店舗へ買いに行く理由が希薄になってしまった以上、新たなバリューを提供していくしかない。

どこぞのおしゃれ書店に対して、「カフェ併設で、置いてある本も底が浅い!店員の本への愛がない!」とご立腹のツイートをお見かけしたが、しょーがないじゃん、と思う。

その方の様な人が大多数であったなら、書店はこうはなってなかったのじゃなかろうか。

企業は金儲けしなくてはならない。

市場の傾向が変わったのならば、それに合わせてカスタマイズしていかなければ淘汰されてしまう。

お客様目線で、だって、全てのお客の目線に合わせられるわけではない。

当然、大多数の意見に沿っていくだけである。

その大多数が、おしゃれ書店を支持しているのだから、我々いち顧客がギャースカ言っても仕方がないのだ。

蛇足だが、SNSは同意見の人と繋がりやすく、自分が大多数側だと勘違いしがち。

改めて注意が必要だな、と感じた。

 

さて、私自身といえば、深く読み込んで没入するような本の楽しみ方ができなくなっている。

昔は小説を好んで読んでいたが、今はビジネス書を手に取ることが多くなった。

会社から暗に課題図書として扱われている本だったり、身につけるべきとされているスキルの本だったり…。

好んで手に取っているわけじゃないので、字面を追って終了。

勤務日は帰宅してから寝るまでの時間がタイトで、本を読む時間も集中力もない。

休みの日はというと、研修の課題消化だなんだと仕事が付きまとってきてしまう。

収入的には豊かになったが、果たして豊かな生活といえるのだろうか。

そんなことを悶々と考えながら、日常を過ごしている。

 

子供の頃の私は、怪奇小説推理小説を好んで読んでいた。

ちょっぴり恐ろしくて、不可思議なことにワクワクして、分厚いハードカバーの本を寝床に持ち込んで夢中で読んだ。

高校生あたりになってくると、見事に腐って、ルビー文庫長野まゆみ先生の著作なんかを読み耽っていた。

長野まゆみ先生の「行ってみたいな、童話の国」が無性に読みたくなり、Kindleで購入しのんびり読んでいる。

ビジネス書でカチカチになった私の脳みそは、想像力が不足しているらしく、情景をイメージすることが難しい。

いささかショックではあるが、リハビリリハビリとゆっくり読んでいる。